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2010年4月

2010年4月24日 (土)

ガラガラ遊び

娘、まり花もようやくガラガラを自ら持てるようになってきた。自らと言っても、無理やり握らせないと持ちませんが・・・。音が鳴ることを面白がっているように見える。一度握らせると、振る振る。とにかく地球の果てに届くくらいに、振る振る。見てるとこっちまで楽しくなる。

ある時、急に泣き出した。ガラガラを振りすぎて、自分のおでこにぶつけて泣いているのだ。それも、1回ぶつければ、痛いのがわかるから、振るのを止めればいいのに、ぶつけてもまた、もう一回振り続けて、もう一度おでこにぶつける。これでは、バカだ。でも、何が起こったのか掌握するのに、想像力がまだ、働かないのだろう。何でも、やってみて、事象を体験して、知識につながっていくのだろう。少しずつ賢くなっていく。

2010年4月16日 (金)

怪我と年齢とアイスホッケー

アイスホッケーの公式戦で、すねの細い方の骨を骨折し、くるぶしにひびが入り、2週間が過ぎた。大学時代にアイスホッケーを初めて、27年が過ぎた。大学1年生時の夏合宿の辛かったことをしみじみと思い出す。当時、アイスホッケー部は立教大学体育会の中でも練習の厳しさは、ベスト3に入るとも言われていた。

横浜の社会人クラブチームに入った時は、下から数えて何番目という位置であったが、今やチーム最年長になっていた。振り返ると、27年の間に随分とアイスホッケーで怪我をした。左足のじん帯を伸ばしたこと、右肩の鎖骨にひびが入ったこと、首が鞭打ちになったこと、肋骨にひびが入ったこと、唇を切って縫ったことと、歯が折れたこと、腱鞘炎になったこと等、怪我を当たり前のように思っていた。そして、チームもメンバーが怪我することが当たり前になっていて、個別には同情すらおこらない。

そんな僕も足の骨折は初めてだ。全治1ヶ月と医師から言われている。とにかく、物事を行うのに通常の2倍の時間がかかり、行動範囲も自ずと狭まる。松葉杖生活にもようやく慣れたが、不便極まりない。中途障害になり、片足が不自由な方々がどんな思いで、日々の生活をおくっているのか、ほんの少しだけ実感した気がする。

45歳を過ぎるとアイスホッケーも、一般の部とことなり、シルバーリーグに入ることが出来る。それは、人とのぶつかり合いの無い、つまりチェックの無いアイスホッケーなのです。アイスホッケーはチェックがあって始めて成り立つものと思い続けて27年が過ぎた。シルバーリーグに加盟するチームに入りなおすべきか、悩むところだ。でも、もう少しだけ、足が治ったら、今のチームで活躍したい。まだまだ、点を取るフォワードであり続けたい。

2010年4月13日 (火)

3ヶ月目の検診

娘まり花も声を出して笑うようになった。何が面白いのか、全く分からないが、とにかく面白いらしい。ちょうど、産まれて3ヶ月。小児科に検診に行った。体重はジャスト5000グラム。産まれた時に2500グラムだったので、ちょうど2倍になったということ。随分と成長するものだ。

風邪気味らしい。車に乗せた時から、鼻をズルズルならしていた。鼻がつまったり、のどが痛い時に大人でも薬を気体状にして吸引するが、赤ちゃんバージョンもあるらしい。さっそく、薬を吸わせ、その後に、鼻の吸引機で、鼻を吸引すると、出るは出るは、鼻水というか、たんというか、随分と鼻から出てきた。これだけ、詰まっていたら、息苦しいし、気分もさえないだろう。鼻から吸いだされた後は、心地よさそうな表情をしていた。

大人になって、自分で鼻をかめるというのは、何ともいいものだ。

2010年4月12日 (月)

価値の進化

人間は生まれ育った環境がある。それは、一義的には家族、そして学校、地域、貧富など、であり、多くの社会的要因から発生するものだ。一方では、生まれた時から不平等とも言える。価値や考えは一人ひとり違うことが当たり前だ。何十年も人間をやっていると、価値を変える事はなかなか出来るもではない。でも、社会の中で生きていくということは、自分以外の価値があると、異なる価値を認めることだ。

友達関係、上司部下の関係、恋愛関係などは、常に身近にいる関係ではないので、異なる価値を認めやすい。しかし、結婚して家族となると、それぞれ育った家の価値が正面に出てくる。お互いの両親は異なる価値で、子ども以上の年月生きているわけだから、それを変えることなど出来ないと思うし、異なる価値を認めることも難しいかもしれない。でも、子供同士が結婚した新たな家庭は、異なる家庭で育った人間の共同生活ゆえに、まずは、異なる価値を認めることだけはしなくては、うまくいかない。そして、両家族の価値の良いところを集め、悪い所を修正し、新家庭の新たな価値をつくる事が大切だと思う。新しい家庭で産まれた子どもは、新たな価値で育つことになり、更に進化した価値をもつ人間に育つことになる。

この繰り返しによって、良き家庭で育った人間が、常に進化し、更に進化し、世のため人の為につくせる「教養深く、尊敬される価値」を持つ人間に成長していくのだろう。日本の世帯がこんな家族感でつながったら、誇り高き日本が復活するはずだ。

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