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2006年5月

2006年5月31日 (水)

ある政治家の葬儀

社会の為に尽くし、命の限り走り続けた、ある政治家は、5月15日に仮通夜、16日に密葬を行い、今は遺骨になっている。

仮通夜、密葬は、私人として、個人としての葬儀であり、ご子息にとっての父親の葬儀、夫人にとって夫の葬儀である。

そして、今日、5月31日は自由民主党の党葬(葬儀委員長:小泉純一郎内閣総理大臣・自民党総裁)であり、政治家としての葬儀である。

今日で、ある政治家は政治生命を終えた。

僕にとっては、衆議院議員福田峰之を生み、育てた父親の葬儀であった。献花する時、心の中は空白そのもの、何も考えられなかった。参列者の献花が全て終わり、ガランとした斎場に戻り、遺影を見た瞬間、涙が止め処も無く流れた。目の涙をぬぐっても、ぬぐっても止まらない。

育てられた20年間が、ものすごいスピードで頭を過ぎった。これで、ある政治家は帰らざる人となり、故人になった。

衆議院議員亀井善之と言う政治家は、これで終焉を迎えた。

僕にとっては、新たな時代に入ることを意味する。

最後まで見せ続けた「誠実」は僕の胸の中に入っている。

2006年5月23日 (火)

「世直し源さん」

ヨシエイ童話「世直し源さん」を改めて読み直してみた。業田良家が描く、長屋に住むステテコ姿の総理大臣マンガです。

童話と銘打たれていることからわかるように、有り得ない話の連続です。

でも、このマンガに引き付けられるのは、こんな総理がいたら、日本も面白くなるかも、という「期待」なのかもしれない。「世直し」、これは政治家としての活動原点であろう。自民党次期総裁はどんな「世直し」を掲げるのであろうか。

2006年5月12日 (金)

ある政治家の死

5月12日14時、一人の政治家が70歳でこの世を去った。

大学を卒業したての、何の縁も無い僕を秘書に採用してくれた人だ。誰に対しても裏表のない、自分に厳しい、信念の人。そして人を信じ続けた政治家であった。

政治の師匠として多くのことを学ばせてもらった。政策の組み立て方、現場からの意見をしっかり聞き、決断するということ。官僚との付き合い方、同じベクトルの上で走れば、相乗効果を生むということ。

そして、学びながら実践出来たことは「湘南ナンバー」を担当秘書としてつくり上げたこと、アレルギー疾患の研究を進めたことです。

新しいことも、随分思い切ってやらせてもらった。秘書会活動における「派閥対抗運動会」。ブルガリア大使公邸での「ザ・ジャパニース花見」、公邸にゴザや出店、カラオケを持ち込み、日本の花見を再現した。ベトナム、カンボジアにODAの検討のために派遣された。

あっという間の8年間であった。

平成7年4月、運動期間、正味3ヶ月の状況で、横浜市会議員選挙に出馬し、落選した。

その時「落ちるのは当たり前だ。どれだけ選挙区のことを知ったいるんだ。出直してこい」と怒られた。

そうこうしている内に、この代議士は運輸大臣として初入閣した。事務所を抜けても、師匠のことは当然、気になる。専門分野である運輸大臣になれたことを、僕も本当に喜んだ。

平成11年の死に物狂いの再挑戦市会議員選挙、代議士は自民党組織本部長になっていた。このポストは全国の統一地方選挙をしきる役割だ。でも、僕の選挙にほとんど付きっきりだった。

今だに忘れない、当選が判明した時の代議士の顔を、本当に喜び、目に涙をためていた。

開票日翌日、代議士の所に挨拶に行くと「今日から人は、お前を見て、横浜という街をイメージする。自覚が足りない」といきなり怒られた。確かに、薄汚れ、擦り切れたスーツを着、ぼろぼろの黒い靴を履いていた。「威張ることではない、政治家としての自覚を持て」と、未だに解答を見つけれていない。

代議士が最初にルビコン川を渡り、選挙に出たのは横浜市長選挙。

伊勢原生まれの伊勢原育ちの人間が、横浜市長に立候補。飛鳥田革新市政、絶世時代に勝てるわけがない。横浜市政は、かつて自分が選挙に出たことがある街の話、横浜市政のことを良く聞いてきた。

そして、平成17年9月の衆議院選挙。出馬の相談に行くと「とにかく出てみろ」と言われた。このころ既に、体は癌に侵されていた。選挙戦最中にも応援に来てくれた。統一地方選挙と異なり、自分も同時期に選挙を戦っている。でも、人の応援に来る人だ。

そして開口一番怒られた。「たるんでいる」と。

今思えば、この時期、癌が転移し、体はボロボロの状況だ。それでも精神の力で戦う代議士にしてみれば、僕の姿は余りに、弱く、真剣さの欠如が感じられたことだろう。僕は余命いくばくも無いと宣言されていた代議士の気合を受け止めることが出来たのであろうか。

当選後、挨拶に行った時「お前は自民党の追い風があるにも係わらず比例で受かった。次回は小選挙区で受かってこい。それに全てを賭けろ」と言われた。

本当に厳しい人だ。

でも、本当に心配してくれる人でもある。最後の思い出は、代議士の政治資金パーティーで衆議院議員として司会が出来たこと。そして何より平成18年、厚木で催された代議士の新年賀詞交換会席上で、僕のことを「福田は小泉チルドレンではなく、亀井チルドレンだ」と言われたこと。

僕は「亀井チルドレン」として、必ず代議士の期待に叶うような政治家になってみせる。そのためにも、次期衆議院選挙はどんなことしてでも、小選挙区で勝ち上がりたい。そして、まだ解答が見つからない「政治家の自覚」というものを捜し求めたい。

衆議院議員亀井善之代議士、本当に感謝しています。

天国から見ていて下さい。

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